参政党の共同代表として知られる神谷宗幣さん。
熱い発信や独自の政治観が注目される一方で、どんな学生時代を送ってきたのか気になる人も多いようです。
実は神谷宗幣さんは、学生時代から校則に疑問を持ち、行動に移していたというエピソードが語られています。
この記事では、神谷宗幣の学生時代にどのような価値観が育まれたのか、小学校から大学までの歩みを通してご紹介します。
この記事でわかること
- 神谷宗幣の小中高エピソード
- 神谷宗幣の高校時代に見られた行動
- 神谷宗幣の大学時代に生まれた価値観
神谷宗幣の学生時代はどんな子どもだった?

政治家として注目される神谷宗幣さんですが、その原点はどこにあるのでしょうか。
ここでは、小学生から高校生までのエピソードをたどりながら、当時どのような人柄で、どんな経験をしてきたのかを見ていきましょう。
いたずらの多かった小学生時代

神谷宗幣さんは、福井県高浜町で生まれ育ちました。
通っていたのは、自然豊かな場所にある青郷小学校の高野分校です。

当時の様子について、次のようなエピソードが伝えられています。
・成績はあまり良くなく、運動も得意ではなかった
・いじめを受けた経験もあった
・それでも明るく、いたずら好きで先生によく叱られていた
・両親は共働きで、家庭ではあまり「勉強しろ」と言われなかった
・小学4年生までは成績がふるわなかった
このように、決して優等生タイプではなかったようですが、自由に過ごせた幼少期の経験が、自分で考え、動く力を育てたのかもしれません。
校則の見直しに関わった中学時代

中学では地元の高浜中学校に進学し、生徒会長に選ばれ、行動力を発揮していたようです。
とくに印象的なのが、当時の男子生徒に義務付けられていた「丸坊主」の校則について。
神谷さんはそのルールに疑問を持ち、以下のような取り組みを行いました。
・生徒会長として校則見直しの議論をリード
・長髪を認めるように学校側へ働きかけ
・結果的に校則が変更されたというエピソードもある
また、このころの本人の姿勢として語られているのが、
・「正しくないと思うことには従わない」という考え方
・リーダーシップが強すぎたため、友人関係が一時崩れた経験
・独裁的に見られ、孤立したこともあったという過去
葛藤を抱えながらも、人と向き合い、周囲を動かしていく力を少しずつ磨いていたようです。
生徒会長と部活動に取り組んだ高校生活

高校は福井県立若狭高校(理数科)に進学。
進学校として知られる環境のなか、神谷さんはさらに幅広い活動を展開しました。
高校時代の主なエピソードとしては、
・生徒会長に就任し、学校運営に積極的に関与
・バドミントン部のキャプテンとして練習方針を主導
・ただし練習が厳しすぎて部員が離れていったことも
・その後、辞めた部員に謝って回ったが戻らなかったという経験もある
また、学業以外の活動にも意欲的で、
高校生クイズに県代表として出場
演劇活動やボランティアにも参加
本や映画などから刺激を受け、考える力を養っていった
さまざまな役割を通じて、責任や他者との関係性について深く学ぶ時間になっていたことがうかがえます。
神谷宗幣の高校時代に見られた行動と姿勢

高校生活では、生徒会や部活動などに積極的に関わりながら、自分の考えをしっかり持って行動していた様子がうかがえます。
ときには学校のルールや先生との考え方の違いから、衝突や迷いを経験する場面もあったようです。
この時期の行動には、現在の社会観や価値観につながるヒントが見えてきます。
教師と対立し2週間のボイコット

高校生活の中で、学校のルールや先生との方針に強く疑問を持った神谷さん。
その考え方が行動として現れたのが、いわゆる「ボイコット」とされる2週間の欠席です。
・学校の方針に納得できないまま従うことを避けた
・一人で山口県まで旅に出て、自分の頭で考える時間を確保
・その旅が心の整理や視野を広げるきっかけになったと語られている
外に出ることで、内面と向き合う時間をつくり出し、
のちの「考え抜いて動く」スタイルに通じる行動だったのかもしれません。
バドミントン部では厳しさが原因で部員が激減

先述の通り、部活動では結果を求めるあまり練習を厳しくしすぎてしまい、部員がほとんどいなくなってしまったことも。
その後、辞めた部員一人ひとりに謝ってまわったというエピソードも伝えられています。
この出来事からは、リーダーとしての成長過程や、反省と対話の大切さがにじみ出ていますね。
高校生クイズや演劇など多方面での活動
学内の役職や部活動にとどまらず、神谷さんはテレビ番組「高校生クイズ」に県代表として出場するなど、チャレンジ精神旺盛でした。
演劇や読書、ボランティアなどにも関心を持ち、学校生活の中で自分の興味をどんどん広げていったようです。

神谷宗幣の大学時代に生まれた価値観とは?

大学時代は、自分自身と向き合う時間を通じて、多くの気づきや価値観が育まれた時期でした。
旅や出会いを通じて広い視野を持ち、教育や社会の在り方について考えるようになったといいます。
ここでは、大学時代の過ごし方と、その後の進路に影響を与えた出来事をたどります。
勉強に興味を持てずアルバイトと旅に集中
関西大学文学部に入学したものの、講義の内容にはなかなか興味が持てなかったそうです。
周囲と同じように過ごす学生生活に違和感を感じていたのかもしれません。
その後、神谷さんは進路を模索しながら、アルバイトに打ち込みはじめます。
目的は、旅や留学の資金をためること。
日々の生活の中で、「このままでいいのだろうか」と問い続ける時間が続きました。
この悩みと葛藤が、のちの行動の土台になったようにも感じられます。
バックパッカーとして18カ国を巡った経験

大学3年を終えた時点で1年間休学し、バックパッカーとして世界各国を巡る旅に出ました。
訪れたのは、アジアやヨーロッパを中心に18カ国。
この経験は、神谷さんにとって非常に大きな転機となったそうです。
・世界各地の若者たちと交流
・現地の生活や社会事情に触れる
・日本との価値観の違いに衝撃を受ける
といった経験が積み重なり、「このままの日本で大丈夫なのか」という危機感が芽生えたと語っています。
社会に対する視野や問題意識が、大きく広がったタイミングだったのかもしれません。

教員免許の取得と教育の在り方に問題意識をもつ

大学では、英語と社会の教員免許も取得しています。
将来的には教師になることも視野に入れていたことがうかがえます。
教育の分野に関心を持った背景には、戦後教育に対する問題意識がありました。
とくに、過度に自虐的な歴史観への違和感や、「もっと多角的に日本のことを学べる教育が必要」という思いを持っていたそうです。
また、社会に出る前に次のような考え方を大切にしていたとも語られています。
・自分の頭で考えること
・精神的な自立
・自国に誇りを持つ視点
・同じ価値観を共有できる仲間の存在
これらの価値観が、のちの政治活動の方向性を形づくる大きな要素になっていったと見られます。
参考:神谷宗幣 プロフィール
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※この記事の内容は、神谷宗幣さんの公式ブログやインタビュー等で語られた情報をもとに構成しています。
できる限り正確を期していますが、一部には本人談や主観的な表現が含まれる可能性があります。
あらかじめご理解いただいた上でご覧ください。
まとめ
神谷宗幣さんの学生時代について知りたかった方にとって、どのような背景や経験があったのかは気になるところだったかもしれません。
それが現在の姿にどうつながっているのか、注目していた方も多いのではないでしょうか。
わかったことを整理すると以下の通りです。
・小学校では自由な環境で育ち、いたずら好きな一面も
・中学では校則の見直しに関わり、生徒会長を務めた
・高校では生徒会・部活・行事に幅広く参加
・教師との対立で2週間の欠席を経験
・大学ではアルバイトと旅に集中し、18カ国を巡った
・教員免許を取得し、教育への関心も深めていた
模索しながらも主体的に動く姿勢が、学生時代のさまざまな場面に表れていました。
今後の活動の中で、こうした経験がどう生かされていくのか、静かに見守っていきたいですね。