参政党の代表として知られる神谷宗幣(かみや そうへい)さん。
実は、自衛隊や教師、スーパー店長など多彩な経歴を持つ異色の政治家でもあります。
なかでも市議時代の活動や、参政党を立ち上げた背景には意外な人生経験が色濃く影響しています。
この記事を読めば、神谷宗幣の経歴が注目される理由と、参政党誕生までの流れがわかります。
神谷宗幣の多彩な経歴まとめ

政治家として広く知られる神谷宗幣さんですが、これまでの歩みにはさまざまな分野での経験が含まれています。
教師やスーパーの店長、自衛官、市議など、多様な立場を経てきたことが特徴です。
この記事では、神谷宗幣さんの経歴を時系列で整理し、それぞれの経験がどのような背景にあるのかを見ていきます。
※プロフィール情報はすべて神谷宗幣公式サイトをもとに構成しています。
経歴一覧(時系列)
神谷宗幣さんの経歴を一覧まとめは以下のようになります。
▪1977年:福井県生まれ 2025年7月現在49歳
▪関西大学文学部を卒業(2001年)
▪若狭東高校にて英語・世界史の非常勤講師(2001年~)
▪家業のスーパー「カミヤストアー」店長に就任(2002年頃)
▪経営難により倒産を経験
▪再び高校講師に復帰(2003年)
▪26歳で吹田市議に初当選(2007年)
▪市議活動と並行して予備自衛官(三等陸曹)として訓練に参加
▪2022年、参議院選挙に比例区で初当選
▪現在は参政党代表として活動中
高校教師として働く

大学卒業後、神谷宗幣さんは福井県立若狭東高校にて、非常勤講師として教壇に立ちました。
担当教科は英語と世界史で、生徒と日々向き合いながら授業を行っていたとされます。
教育現場での経験を通じて、次のような課題意識を抱くようになったそうです👇
▪一方的に教えるだけでは、生徒には十分に届かない
▪若者の価値観や社会との向き合い方に、変化を感じた
▪学校教育の枠を超えた関わりの必要性を実感した
このような気づきが、後に神谷さんが教育改革を訴える際の原点になったと語られています。
なお、実家のスーパー経営を経てから再び高校講師として復帰しており、教職への継続的な関心もうかがえます。
【出典】神谷宗幣ブログ
スーパー経営の挫折
教員としての勤務を終えた後、神谷宗幣さんは実家が営んでいた食品スーパー「カミヤストアー」の経営に携わるようになります。
当時は若くして店長に就任し、経営の立て直しに挑戦していたとされます。
しかし、地域経済の厳しさや経営ノウハウの難しさに直面し、最終的には店舗は閉業という結果に至りました。
この経験を通じて、神谷さんが実感したこととして、以下のような点が語られています👇
▪地方の中小事業者が直面する現実的な課題
▪経営判断の重みと失敗のプレッシャー
▪地域経済の循環構造のもろさや限界
こうした体験が、「中小企業支援や地域経済の再生に関心を持つきっかけになった」と述べています。
後の政策にも、このときの現場での体験が反映されている場面が見られます。
自衛隊での10年間

神谷宗幣さんは、吹田市議としての活動と並行して、約10年間にわたり予備自衛官としても訓練に参加していました。
当時は陸上自衛隊の三等陸曹の階級で、実務的な訓練にも継続的に取り組んでいたとされています。
主な訓練内容には、次のようなものが含まれていました👇
▪実弾射撃
▪体力検定
▪定期的な招集訓練への参加
このような経験を通じて、「安全保障や国防に関する基礎知識や現場感覚を養う機会になった」と本人は振り返っています。
2022年に参議院議員に当選したことを機に、予備自衛官としての任務は退職しています。
【出典】神谷宗幣ブログ
海外放浪が政治観の原点に

大学時代、神谷宗幣さんはバイクで日本一周を成し遂げ、その後、世界18カ国を放浪しました。
旅先では貧困や多様な文化に触れ、「自分は何者か」「日本とは何か」を深く考えたそうです。
とくに、日本に対する誇りや危機感が芽生えたことが、後の国づくりへの思いにつながったと語られています。
ただの旅ではなく、価値観を大きく揺さぶる時間だったといいます。

最年少市議として注目された神谷宗幣

異色の経歴を経て、神谷宗幣さんが一躍社会に知られるようになったのは、26歳での市議初当選でした。
この若さでの挑戦と、情報発信スタイルが注目を集めました。
26歳で市議に初当選
2007年、神谷宗幣さんは大阪府吹田市議会議員選挙に立候補し、当時としては全国最年少での当選を果たしました。
それまでに教師やスーパー店長といった異なる職種での経験があり、市議としての政策提案には現場経験に基づく視点が含まれていたとされています。
また、次のような特徴的な取り組みも見られました👇
・政治に関心の薄い層にも情報が届くよう、SNSを早期から活用
・発信スタイルにより若年層への認知が徐々に広がっていったとされる
こうした情報発信の姿勢は、当時の地方議員としては比較的早い段階での取り組みだったといえます。
インターンや教育改革
市議としての活動では、「議員インターンシップ制度」の受け入れに取り組み、若者が政治に触れる機会を提供していました。
また、教育現場での勤務経験をもとに、学校現場の改善に関する提案や教育政策への意見表明も行っていたようです。
こうした活動は、市議会での役割にとどまらず、地域社会との接点を広げる取り組みのひとつとされています。
多様な現場経験が注目された理由
教育や経営、自衛官といった現場に関わる経験を持っていたことから、
政策提案にも当事者視点が反映される場面が見られたとされています。
こうした姿勢は、メディアでも取り上げられることがあり、活動の認知拡大につながった要因の一つとみられます。
神谷宗幣はなぜ参政党をつくったのか?

現在は参政党の代表を務める神谷宗幣さんですが、もともとは他の政党や地方議会での活動経験もあります。
なぜ新たな政党を立ち上げる必要があったのでしょうか?
その背景には、政治の仕組みに対する疑問や、現場で感じた限界があったといわれています。
ここでは、参政党誕生までの経緯や、神谷さんの考え方に注目していきます。
既存政党への疑問
かつて神谷宗幣さんは、自民党をはじめとした既存政党の活動にも関わっていた経歴があります。
その中で、政策決定の過程について「一定の課題を感じた」と語っており、
現場の意見が十分に反映されにくい構造に対する問題意識を持つようになったとされています。
そうした考えから、独自の政党づくりを模索する動きへと発展していきました。

政治家と市民の連携
参政党では、支持者を単なる応援者としてではなく、
政治を学び合う仲間として捉える「共育(きょういく)」の考え方が取り入れられています。
神谷宗幣さんも、政治家と市民が一緒に学びながら連携していく形を模索してきました。
その一環として、以下のような取り組みが継続的に行われています。
・政治や社会に関する勉強会の実施
・オンライン配信などによる情報発信
・有権者との対話を重視した場づくり
こうした活動を通じて、選挙期間だけでなく日常的に政治を意識する環境づくりを目指す動きが見られます。
地方移住と新たな挑戦
近年では、家族とともに石川県加賀市に移住し、学校設立プロジェクトや企業経営にも取り組んでいます。
地方から新しい社会モデルをつくろうという挑戦も始まっているようです。
まとめ
今回は、神谷宗幣さんの経歴と参政党設立に至るまでの背景についてご紹介しました。
以下のような主なポイントが整理できます👇
・教師・店長・自衛官など、多様な職歴を持つ
・若狭東高校で英語と世界史を担当していた
・実家のスーパー「カミヤストアー」再建に取り組むも、倒産を経験
・吹田市議時代には予備自衛官(三等陸曹)としても活動
・バイク旅や海外滞在などで政治への関心を深めた
・26歳で吹田市議に初当選(当時、全国最年少)
・教育施策や議員インターン制度の推進に取り組んだ
・既存政党への疑問から、参政党の立ち上げを決意
・共育や現場主義を掲げ、市民参加型の政治を模索
・現在は石川県での地方創生プロジェクトにも携わっている
それぞれの経験が、政策提言や政党づくりに反映されてきたことがわかります。
今後の取り組みにも引き続き注目が集まりそうです。