山上徹也被告は、安倍元首相の銃撃事件で注目を集めた人物です。
その背景には、複雑な家庭環境や母親の宗教問題があったと報じられています。
中でも多くの人が関心を寄せているのが、山上被告の兄の死。
「兄の死が山上の犯行に関係しているのでは?」という声も少なくありません。
この記事では、山上徹也被告の兄の死の経緯と、犯行との関係についてご紹介します。
この記事でわかること
- 山上徹也の兄が亡くなった経緯
- 兄の死が山上徹也に与えた影響
- 宗教と家庭環境が及ぼした背景
山上徹也の兄が亡くなった経緯

山上徹也被告の兄は、幼少期から病気と闘い続けた人生を送っていました。
家庭の事情も重なり、治療や生活にも大きな影響があったといわれます。
ここでは、兄の闘病とその背景について整理します。
幼少期から続いた闘病生活
山上徹也被告の兄は、生まれてまもなく小児がん(リンパ腫)と診断されました。
抗がん剤治療や手術を繰り返しながら成長しますが、その過程で右目を失明するなど、体への影響は大きかったようです。
兄の闘病の流れを時系列で整理すると、次のようになります。
・生後すぐにリンパ腫と診断される
・抗がん剤治療と手術を受ける
・10歳ごろに副作用で右目を失明
・成長後も再発や体調不良が続く
長い入院生活や治療の副作用で、日常生活にも制限があったとみられます。
家族にとっても、精神的・経済的に厳しい時期が続いたでしょう。
治療費を圧迫した家計と献金問題

父の自殺後、母親が家計を支えるようになりますが、その中で旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)への献金を続けていたと報じられています。
数千万〜1億円にのぼるとされる多額の献金が、家計を直撃しました。
兄の治療費や生活費も十分に確保できず、親族の証言によると「治療代を後にしてほしい」と頼む場面もあったといいます。
十分な医療を受けられないまま、兄は2014〜2015年ごろに30代半ばで亡くなりました。
死因は自殺とされていますが、詳細は公表されていません。
長年の闘病と貧困、そして家族の複雑な事情が重なった結果だったと考えられています。
兄の死が山上徹也に与えた影響とは?

兄を失った悲しみは、山上徹也被告にとって非常に大きなものでした。
家族の中で支え合ってきた兄の存在を失い、生活や心境にも変化が生まれたとみられます。
兄の死に対する深い喪失感
葬儀の場で山上徹也被告は、「どうして死んだんだ」と涙を流しながら叫んでいたと親族が証言しています。

兄弟の絆は強く、共に困難を支え合ってきた関係だったようです。
そのため、兄の死は山上被告の心に深い傷を残したと思われます。
山上被告自身も2005年に自殺未遂をした過去があり、精神的に追い込まれていた時期があったといわれています。
兄を失ったことで「もう支えがない」と感じた可能性も否定できません。
事件への直接的な関係は不明
ただし、兄の死と山上被告の犯行を直接結びつけることはできません。
専門家の間でも「家庭環境が心の一因になった可能性はあるが、それだけで犯行を説明するのは難しい」との意見が多くあります。
事件後の供述では「母親の宗教とお金が家族を壊した」と語っており、兄の死がその認識を強めた可能性はあります。
一方で、事件の動機には複数の要素が絡んでいるとみられ、単一の出来事として断定するのは避けるべきでしょう。
宗教と家庭環境が及ぼした背景とは?

山上家では、父の自殺後に母親が宗教団体にのめり込み、家庭の経済は次第に苦しくなりました。
兄の治療や子どもたちの教育費が後回しになる中で、家族の絆は少しずつ崩れていったようです。
宗教献金が生活を追い詰めた実情
家庭の状況を整理すると、以下のような流れが見られます。
・父の自殺をきっかけに母親が旧統一教会に入信
・教団への多額の献金を継続
・家計が逼迫し、子どもの進学や治療が困難に
・家族の関係が次第に悪化
妹は高校を中退し、山上被告も大学進学を諦めました。
親族は「宗教が家族を不幸にした」と語っており、兄の死を境に家庭は完全に崩壊したといいます。
残された家族と山上の葛藤
兄を失い、妹も家を離れる中で、山上徹也は母親と向き合うことを余儀なくされました。
母の信仰は揺らがず、家族を再建することは叶いませんでした。
その中で募った無力感や怒りが、後の行動に影響を与えたのではないかと見る人もいます。
ただし、これもあくまで推測の域を出ません。
一人の人間として、家庭の崩壊と兄の死という現実をどう受け止めたのでしょうか。
そこには、誰にも断定できない複雑な心の葛藤があったのでしょう。
まとめ
山上徹也の兄の死は、家庭の中で長く続いた苦しみの象徴ともいえる出来事でした。
わかったことは以下のとおりです。
・兄は生まれてすぐ小児がんを発症し、幼少期から闘病を続けていた
・父の自殺後、母親の宗教献金によって家計が悪化し、治療費も十分にまかなえなかった
・兄は30代半ばで自殺とされ、家庭には深い悲しみと喪失感が残った
・山上は兄の死に強い衝撃を受け、精神的に追い詰められていたとみられる
・ただし、兄の死と犯行の直接的な関係は明らかではなく、今も慎重な見方が求められている
兄の死が山上被告の心に与えた影響は大きいものの、事件の全てをそれだけで説明することはできません。
複雑な家庭事情と長年の苦しみの中で、何を感じ、どう生きようとしたのでしょうか。
今後の山上徹也被告の裁判の行方を注視していきたいと思います。
